30年近く使ったコタツを捨てた話


2013年05月03日
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昨夜、これまで30年ほど使ってきたテーブルを捨てた。

僕が中学生だった時分に、親が長崎で購入したもので、冬はヒーターを付けてコタツとして使える、いわゆる「家具調コタツ」というタイプだ。メーカーは東芝。

長崎の家から、調布の家(その1)、調布の家(その2)、西新宿のアパートを経て、10年前に今の部屋に持ち込んだ。もともとの作りが結構頑丈だったのと、サイズが大きめで使い勝手がよかったこともあって、あちこち傷がついてはいても、なかなか捨てる気になれなかったのだ。

今回、そのテーブルを捨てるきっかけになったのは、情けないことに、ぎっくり腰。

以前から足の1本にひび割れのような傷があり、ちょっと危ないなとは思っていたのだが、その日、立ち上がろうとして、腰に激痛が走った瞬間に思わず、そのひびの入った足の近くの天板に全体重をかけてしがみついてしまったのだ。

「パッキーン」といった感じの甲高い破裂音がして、テーブルが少しぐらついた。ただ、テーブル自体が即座に崩れることはなく、僕は何とか腰をかばいながら姿勢を整えることができた。

さっきの破裂音が気になって下をのぞき込むと、天板の下にある台と、ひび割れた足との間を繋いでいた大きなボルトが、木の足を砕いて完全に外に飛び出してしまっていた。手を伸ばして足に触れると、何の抵抗もなく、パタリと倒れる。そこへきてようやく天板が、バランスを崩したシーソーのように、ゆっくりと頭をもたげた。テーブルの上に乗っていた、雑誌やリモコン、頭痛薬やあめ玉は、これまで自分たちの居場所だったテーブルの異変を気遣うように、すーっと天板を滑って、カーペットの上に移動した。

粗大ゴミ回収日の前夜。外れた足を形だけくっつけて、そのテーブルで晩飯を食った。食い終わった後、いつものように台ふきで天板を拭いているときに、このテーブルでの食事が最後であったことに気がついて、ちょっとだけ丁寧に拭いた。

天板の白い面(木目と白のリバーシブル天板なのだ)についた1センチほどの凹みは、僕が中学生の時にトンボ取りのワナをぶつけてできたものだ。「トンボ取りのワナ」とは、銀紙で包んだ小石を糸の両端に結んだもの。トンボの群れの中に、これを投げ上げると、キラキラするものに興味を惹かれたトンボが糸に絡まって落ちてくるという仕掛けである。ちなみに、このワナは子ども時分に3度ほど試してみたが、落ちてきたトンボは1匹もいなかった。家に帰ってきて、ぽいとテーブルの上にそのワナを放ったら、天板に穴があき、僕は親父から頭に穴が空くくらいのキツイ一発を食らった。

思えば、僕と長崎の家族との食事、ケンカ、人生に関わる話し合いは、結構このテーブルを囲んで行われた。大学に入って1人で暮らすようになってからは、友人を呼んでこのテーブルで麻雀を何局も囲んだし、正月には毎年鍋もやった。ある年以降、ヒーター部分が壊れてしまったため、コタツとして使うことはなくなったのだが、今のヨメと暮らすようになってからは、彼女の持っていたホットカーペットを下に引き、テーブルにコタツ布団を掛けることで暖房器具風にも使っていた。

そんなテーブルの最期の仕事が、腰を痛めて転びそうになった僕の全体重を支えて守ることだったと考えると、ちょっといじらしいじゃないか。

拭き上げたテーブルに、ずっと外したままにしていた壊れたヒーターを付け直し、天板にコンビニで買ってきた粗大ゴミ券を張り付ける。回収場所へは深夜に運んだ。帰り際にちょっと離れた場所から振り返って見て、それほど大きなテーブルでもなかったのだなと思う。常に、部屋の中で、自分のそばにあった家具だから、こんなに遠い距離で見たのは、恐らく30年の間で、この時が初めてだったんだろう。

さっき回収場所の前を通ったら、既にテーブルは運ばれた後だった。日差しは明るくて、清々しい風が適度に吹いてる、気持ちのいい朝だった。